ダウト!
「つまり、俺たちの目の前にいる跡部は、跡部ではなく手塚で。どういうわけか、跡部と手塚の中身が入れ替わってしまった、と。そういうことだな」
「そういうことだ、乾。話が早くて助かる」
手塚を自称する跡部は、真面目腐った顔で小さく頷いた。
「そんなことってあるんスか!? 漫画じゃあるまいし!」
「てめえ桃城! 手塚部長の話が信じられねえって言うのか!」
「順応早えな?! 落ち着いて考えてみろって! 全部跡部さんの作り話って可能性もあるじゃねえか!」
今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな桃城と海堂を前にして、跡部の見た目をした自称・手塚(以降、便宜上『跡部』とする)は、腕組みしたまま何か考え込んでいるようだった。
「桃城の言い分ももっともだ。そう簡単に信じられる話ではないだろう。そうだな……、桃城、俺と試合してみるか」
「へ?」
「プレーを見れば、本物かそうでないか分かるだろう。どうだ?」
「は、はい! お願いします!」
「着替えてくる。5分後にコートに集合だ」
そう言うと、跡部は大股でコート脇の部室へ向かった。
「……跡部さんが青学のジャージ着てるの、違和感しかないんスけど」
部室から出てきた跡部を一目見るなり、越前は何とも言えない表情を浮かべて言った。
「あれ? 越前はあの話、信じてないんだ」
「そう言う不二先輩はどうなんスか」
「そうだな……。よく、無表情の美人は怖いって聞くけど、実際見てみると確かに凄みがあるよね」
「俺は、高笑いする手塚部長の方が何倍も怖いと思うけど……、って話ズレてません?」
「おっと、始まるみたいだよ」
青学ジャージに身を包んだ跡部と桃城がコート中央で二言三言交わしている。どうやらサーブ権は跡部が取ったらしい。ベースラインまで下がり、何度かボールを地面についている。試合前のピリリとした空気が肌を刺す。
跡部が高くトスを上げる。そこで青学の部員は皆一様に目を見張った。ラケットを握る手こそ右手だったものの、そのフォームはまるで鏡に映したように手塚のそれとそっくり同じだったのだ。
「0―15!」
審判を務める大石の声が響く。
サービスエースを取っても、跡部の表情は一つも動かなかった。淡々と次のサーブの構えを取る。射貫くような鋭い視線の中に静かな闘志を感じて、桃城は軽口を叩こうとしていた口を閉じ、グリップを握りなおした。
終始、跡部優勢のまま試合は進んでいく。
例えば、グラウンドの反対側からこの試合を見ていたなら、些細な違和感すら持たなかったかもしれない。それほど、ラケットを振るフォームも、冷静で着実なゲームメイクも、手塚のテニスそのものに見えた。
あっという間に試合はマッチポイントを迎えた。ワンセットマッチと言えど、まだ二十分も経っていなかった。桃城がネット際にどうにか打ち返したボールに易々と追いつくと、跡部はドロップショットを放った。
「まさか零式ドロップ!?」
しかし、相手コートに落ちたボールは、わずかに横に跳ねて転がった。跡部は転がるボールを目で追い、それから自分の右腕をじっと見下ろした。
「跡部! いや、手塚! 疑ってすまなかった!」
大石は審判台から降りると、跡部に駆け寄った。
「自分もすんませんでした! 手塚部長!」
桃城も試合後の握手をしながら頭を下げる。
それを合図に、周りで観戦していた部員たちもわらわらと集まってきた。部員たちの顔を見渡して、跡部はそれまでずっと険しく寄せていた眉根から、わずかに力を抜いた。
「大石、みんな。こちらこそすまない。迷惑をかける」
「水臭いこと言わないでくれ! 大変なのは手塚だろう? 俺達も何か力になれればいいんだが……」
「大丈夫だ、体の方も特に問題ない。時間を取らせたな。練習を再開しよう」
「ああ!」
「うぃっす!」
「その前に、全員グラウンド三十周だ」
部員たちが口々に答える中、背後から聞き覚えのありすぎる低音で、これまた耳にタコができるほど聞いた決まり文句が飛んできた。青学一同が恐る恐る振り返れば、コートの入り口で学ラン姿の手塚が仁王立ちしている。走ってきたのか、額には汗がにじんでいる。
「よう、手塚。早かったじゃねえの」
跡部はケロリとした顔をして、口調を一転させた。まだ状況を読み込めていない一部の部員は、目を白黒させている。
「えっ、手塚?! だって、じゃあ、こっちの手塚は……?」
「何を言ってるんだ、大石。跡部以外の何に見える」
手塚は頭が痛むとでもいうように額を押さえた。
「それから、不二。今日は生徒会の用事で遅れると伝えたはずだが?」
「ごめん、言い出すタイミング逃しちゃって」
不二がニコリと笑って答える。
「不二先輩!? それ、わざとっスよね!?」
桃城が悲痛な声を上げる。手塚は何か言いたそうな目で不二を見たものの、すぐに騒動の元凶へと目線を移した。
「それで? お前は、ここで何をしているんだ」
「あーん? ちょっとしたお遊びじゃねえの」
跡部は悪びれもせずに言った。随分と高度なお遊びである。手塚は大きなため息をついた。
「……昨日の、立海の仁王や四天宝寺の一氏の話か。だからと言って、すぐに実践してみるヤツがあるか?」
「プレイスタイルや癖なら演技でどうにかなるとしても、お前レベルの技となると、そう簡単にはいかねえな。なにより、眉間に力入れ続けたせいか、おでこが痛え」
そう言って、跡部はわざとらしく眉を寄せてみせた。
「跡部……、好きなだけ走ってきていいんだぞ」
跡部の眉間をグリグリと力いっぱい指で押しながら、手塚が言う。いったいどんな会話をしたらこういう状況になるのか。問うてみたい気もするが、誰も馬に蹴られたくはないらしい。二人の周囲では賢明な判断をした部員が、一人、また一人と静かにコートを抜け出し、グラウンドを走り始めている。
跡部は手塚の手を振り払うと、まだまだ続きそうな小言から逃れるように越前の後に続いて走り出した。
「跡部さん、さっきの猿真似、けっこうイケてたよ」
「本家にお褒めいただけるとは光栄だな」
「俺のは技だけなんで! ねえ、次は俺と試合してよ。もちろん、いつもの跡部さんのスタイルで」
「いいぜ。もっとも、あいつがコート使わせてくれればの話だけどな」