いちばんぼし

  

「頼みがあるって言うから何事かと思ったら。まさか、服を買いに行くのに付き合ってほしい、なんてな」
 人通りの多い街中を歩きながら、跡部は驚いているというよりは、どこか面白がっているふうに言った。
「そんなに意外か?」
「だってお前、着るもんにそこまで頓着ねえだろ。最悪、暑さ寒さが凌げればそれでいいってタイプだと思ってたぜ」
 図星だったので手塚は黙った。
 そう、よほどおかしな恰好でなければ、服なんて着られれば何でも構わないと思っていたのだ。ついこの間までは。
「ははーん。その顔は何かあったな?」
 あるかなしかの表情の変化を目ざとく見つけて、跡部が言う。
「……笑うなよ」
「内容による」
 手塚は渋い顔をしたが、諦めたように一つ息を吐いて話し出した。
「一昨日、駅前で越前に会ったんだ」
「へえ?」
「近くのスポーツ用品店に寄った帰りだったらしい。俺も本屋へ行くところだったから、二言三言話して別れようとしたんだ。が、そこにアイスの移動販売らしいリヤカーを引いた女性がやってきて、通りがかりに俺達に向けてこう言ったんだ」
 手塚はまるで怖い話でもするように、そこで一旦言葉を切った。跡部は神妙な顔をして話を聞いている。
「『お父さん、お子様におひとついかがですか?』」
 予想通り、跡部は声を上げて笑った。
「てめえ、笑うなって言っときながら、笑わせようとしてんじゃねーよ」
 ひとしきり笑った後、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら言う。
「まあ、確かに似てるっていえば似てるかもな」
「越前と俺が?」
「ふてぶてしい態度なんて、そっくりだと思うぜ。しかし、兄弟ならまだしも親子はひでえな」
 まさしく問題はそこなのだ。
 今まで交通機関や商業施設で学生証の提示を求められた回数は数知れず、すっかり年齢より上に見られるのには慣れているつもりの手塚であったが、まさか中学生の子供がいるような年に見えるとは思ってもみなかったのである。よほど心理的ダメージが大きかったのか、その日は買ってきた本を読んでも、全くと言っていいほど内容が頭に入ってこなかった。
「その時、越前に言われたんだ。老けて見えるのは服装のせいもあるんじゃないか、と」
「なるほどねぇ」
 そう言って、跡部は改めて手塚の頭のてっぺんからつま先までを検分するように眺めた。
 カーキのワークパンツに白いTシャツ。その上に紺色のチェックのシャツを羽織っている。動きやすさを優先してか、ズボンもシャツもゆったりとしたサイズのものだ。足元はお決まりのテニスシューズ。
「言われてみれば、休日のお父さんに見えないことも」
「跡部」
 手塚が咎めるような声を出す。跡部は悪びれもせずに「それで?」と答えた。
「お前はどういう風に見られたいんだ?」
「どういう……。それは、出来れば年相応に見られればいいとは思うが」
「中学生らしくってことか? 諦めな。制服やジャージみたいな学生の符号つけてるならまだしも、私服でガキっぽい服なんて着ようもんなら、てめえの場合、中学生のコスプレになるのがオチだぜ」
「中学生のコスプレ」
 手塚は一昨日の件以上に、というかここ数ヵ月で一番ショックを受けたのだが、跡部はそんな手塚の様子に構わず喋り続ける。
「日本人としては年上に見られる部類の顔だってのは否定できねえ事実なんだから、まず受け入れろ。要は、お前の顔の造りや雰囲気に合うような服を選べばいいんだよ。見た目と服が合ってれば、実際の年なんて気にならねえからな。お前だったら、そうだな……、基本のアイテムはキレイめのジャストサイズで揃えて、外しにハード系持ってくるとか。モードっぽいのを合わせるって手も」
「跡部……、日本語で説明してもらっていいか?」
 頭の周りに大量のはてなを浮かべている手塚を見て、跡部は笑った。
「全部日本語だっつーの。ドイツ語の勉強のしすぎで母国語忘れちまったんじゃねーの? Soll ich es noch einmal sagen?(もう一回言ってやろうか?)」
「Nein danke(結構だ)」
「分からねえなら、実際の服見ながらレクチャーしてやるよ。任せな、俺様が最高に男前にしてやる」
 跡部はウインクでも飛ばしそうな上機嫌でそう言うと、目的の店が集まるエリアに向けて足取りも軽く歩いていく。人の買い物一つでそんなに楽しめるものかと手塚は不思議に思ったが、もちろん悪い気はしない。
「ところで、今日のお前の服、肩が落ちているが、サイズが大きすぎるんじゃないか?」
 手塚は跡部が着ているカットソーの袖を摘まんで言った。
「そういうファッションだっつーの。ビッグシルエットって言って、コーディネートに抜け感が出んだよ」
「抜け感……?」
 手塚が眉を寄せて新出単語を繰り返す。先が思いやられるな、と跡部は口の中で呟いた。

  

 洋服店が立ち並ぶ一角に辿り着くと、跡部はその中の一軒にふらりと入っていった。
 落ち着いた雰囲気の店内にはシックな色味の服が並び、マネキンの大半はジャケットやスーツといったカッチリしたアイテムを着込んでいる。一般的なティーンエイジャーが入るような店でないだろうことは肌で感じられた。
「まずは靴だな」
 跡部は迷うことなく、まっすぐ靴の売り場に向かった。後ろを着いていく途中、ふとガラスケースの上に置かれた服の値札を目にして手塚は固まった。
「跡部、予算よりゼロの数が一つ二つ多いんだが」
 前を歩く跡部の耳元に小声で告げる。跡部は「別に買えとは言ってねえだろ」と事も無げに言った。
「高けりゃいいってもんでもねえが、モノを見る目を育てるには良いものを知っておくのも必要だ。モノを見る目ってのは、そのままモノを選ぶ目になる。そういうのは、後々自分で服を選ぶときに役に立つと思うぜ」
 壁面に取り付けられた棚の上には、ピカピカの革靴やスニーカーがズラリと並んでいる。
「ドレスシューズでドレッシーに振るのもありだと思うが、万年スニーカーには少しハードルが高いか……。おっ、これなんて良いんじゃねえ?」
 そう言って、跡部は飾り気のない黒いレザーのスニーカーを手に取った。
「靴から変えないと駄目か?」
「あん?」
 跡部が顔を上げて見れば、手塚は妙に渋い顔をしている。
「靴が全体の印象を決めるんだぜ? あと単純に、同じ靴ばっか履いてると早く傷むぞ」
「いつでもテニスが出来て便利なんだが……」
「横着してねえでシューズくらい持ち運べよ……!」
 服を選びに来たわりに、あまり気乗りしない様子の手塚に、跡部はどうしたものかと考えた。ふと手元のスニーカーに目を落とす。
「知ってるか? これもテニスシューズって言うんだぜ?」
「これでテニスをするのか?」
 案の定、手塚はスニーカーを見つめながら訝しげに尋ねた。
「昔はな。今でこそテニスシューズっていえば合成樹脂や合成皮革なんかで出来たシューズをイメージするが、元々はこういうシンプルなフォルムのスニーカーだったんだよ。それが、クッション性や滑りにくさとかいった機能性を追求した結果、今みたいな形になったってわけ」
「なるほど」
 手塚は納得したように頷いた。
「どうだ? 少しは興味出てきたか?」
「まあな。……いや、初めから無いことは無いぞ」
 慌てて手塚が言い足すと、跡部は笑った。
「そういうことにしといてやるよ。お前、足のサイズは?」
 出し抜けに跡部が言う。
「27.5だが」
「すみません、これの27.5から29くらいまでのサイズ出してもらえますか?」
 跡部はすかさず店員を呼び止めた。「お待ちください」と言って、店員が店の奥から新品のシューズを二、三足持ってくる。
 にこやかな笑顔を浮かべた店員と、どちらかと言えばニヤニヤという表現が正しそうな笑みの跡部に挟まれつつ、用意されたうちの一足に足を入れた。
「うん、いいな」
 履いた本人よりも先に、跡部が言う。手塚は顔を上げて、鏡に映る自分の姿を見た。靴一つ変えただけなのに、確かにどこかキュッと締まったような雰囲気がある。
「足元に適度にボリュームが出るから、全体で見た時、バランスが取りやすいと思うぜ。レザーならカジュアルになり過ぎねえし」
「そうですね。オールシーズンお使い頂けますし、一足あると何かと重宝するかと」
 店員もこの場の主導権がどちらにあるか早々に判断したらしく、手塚ではなく跡部に向けて相槌を打った。
「手塚、履いてみてどうよ」
「ああ、サイズは良さそうだ」
 踵を上げたりその場で足踏みしたりしながら手塚が言う。しなやかな本革は足の形にぴたりと添うように馴染み、やや厚めのゴム底は適度なスプリングがあって歩きやすそうだ。
 跡部は「ん」と頷くと、店員の方を振り返った。
「じゃ、これ買います」
「ありがとうございます」
 手塚が口を挟む余地もなく、話は勝手に進んでいき、気付けば真新しいシューズをそのまま履いて帰ることになっている。
「おい、見るだけじゃなかったのか?」
「あーん? 別に買わないとは言ってねえだろ」
 財布からクレジットカードを出しながら、跡部は悪戯に成功した子供のような顔で笑った。

  

「すいぶん買ったな……」
 手塚は椅子の上に並ぶ紙袋を眺めながら、感嘆と呆れの混じった声で言った。
「とりあえず、ベーシックなアイテムは一通り揃えておきたかったからな」
 向かいに座った跡部は、一仕事終えた後のような充足感を漂わせつつアイスティーを飲んでいる。
「結局、全部払わせてしまったな」
「俺が買いたくて買ったんだから良いんだよ。それに」
 跡部が内緒話をするように身を乗り出す。
「恋人が自分が選んだ服を着て隣を歩いてるってのは、思ってたよりずっと気分がいい」
 声を潜めてそう言うと、跡部はにんまりと笑った。
 手塚は若干の気恥しさを感じながら、今自分が着ている服を見下ろした。
 最初に買ったレザーのスニーカーにセンタープレスの入ったグレーのストレートパンツ。トップスにはやや首元の詰まった白いTシャツを合わせている。
 パンツなら丈の長さがあるので分かるが、Tシャツ一枚選ぶのにも散々試着させられたのは予想外だった。生地は何か、衿ぐりの開き具合は、着丈や袖丈は、と跡部の確認は細部まで抜かりがない。だが、そうやって丁寧に選んだ服には、既製品でありながらも、まるで自分だけの、自分の為の服を見つけたかのような不思議な感覚を覚えるのだ。
「どの服が似合うとかいうのはまだよく分からないが……、お前が選んでくれたものは、どれも自分にしっくり馴染んでいるような気がする」
「その感覚が掴めりゃ、今日の買い物は大成功だな」
 跡部は座ったまま、ぐいっと背伸びをした。
「これで、少しはお前の横に並んでも恥ずかしくなくなっただろうか」
 手塚はふと思い浮かんだことを口にしただけだったのだが、それは跡部を不機嫌にさせるに十分だったらしい。手塚の言葉を耳にした途端、跡部は顔を曇らせた。
「てめえ、そんなこと考えてやがったのか? バッカじゃねーの? 言っとくが、俺はお前と一緒にいて恥ずかしいなんて思ったこと一度もねえからな」
 キョトンとした手塚の顔を見て、言いたいことの半分も伝わっていないと思ったのか、跡部は大きく溜め息をついた。
「あのなぁ、年上に見えるってのは別に短所でも何でもないと思うぜ。そんなもん気になるの今だけだし、もう少しすりゃ、得することの方が多いだろうよ。それに、大人っぽいってのは、言い換えりゃセクシーってことだろ? 俺は好きだぜ、お前の顔」
 跡部は睨みつけるような鋭い目つきで手塚を見つめていたが、自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、突然ふいとそっぽを向いてしまった。 
「それは…………、ありがとう?」
「どういたしまして!」
 跡部は投げやりにそう言うと、ストローを咥えて大人しくなった。
 手塚は跡部の言葉を頭の中で反芻しながら、黙ってアイスコーヒーを飲んだ。目の前に座るそれこそモデルのように整った容姿をした男が好きだと言ってくれるなら、自分のこの顔も満更悪いものでもない気がしてくる。
「休憩終わったら、もう一軒行くぞ」
 半分くらい飲み終わる頃になって、跡部が言った。
「まだ買うのか?」
「もうじき寒くなるし、軽めのアウターか羽織りも見ておきてえんだよ。もちろんお前のな」

  

「テーラードもいいが、ライダースも似合うと思うんだよな。ちょっとワイルドな感じが」
「分かるわ~、優等生っぽい子が悪ぶった恰好してるのってイイわよね~」
 今までになくアクの強い男性店員は、跡部の言葉に大きく頷いてみせた。
「ただ、ダブルだとそこだけ悪目立ちするっつーか、着られてる感が出るんだよな。もっとすっきりしたミニマムなデザインの方がいいか」
「お兄さんスラっとしてるから、断然シングルがオススメよ。これ、今季出た分。こっちは毎年ちょっとずつリモデルしながら出してるブランドのなんだけど」
「あ、これ良いな!」
 手塚の目からはどれもほとんど同じに見えるジャケットを前に、跡部は店員と楽しげにああだこうだ言いあっている。
「手塚! これ、絶対似合うぜ。着てみな」
 跡部が差し出したのは、ポケットと袖口にファスナーがついたシンプルなシングルのライダースジャケットだった。手塚は言われるがままにジャケットを羽織り、鏡の前に立った。
「格好良いな」
 思わず呟いた言葉に、手塚は自分で驚いた。誤魔化そうとしたものの、すぐ横に立っていた跡部には、もちろんしっかり聞こえていて、「なっ!」と全力で肯定してくる。
「違う、服がな」
「そうだな。かっこいい服を着た手塚君、最高にかっこいいぜ」
「おいっ、茶化すな!」
「フフフ、仲良しねえ~」
 その後も数着分の着せ替え人形になったが、最終的には満場一致で一着目が良いという結論に落ち着いた。

  

 跡部が会計をしている間、手塚はふとレジ脇に置かれたアクセサリーのショーケースに目を止めた。ガラスケースの中には、男性ものの指輪やネックレス、ブレスレットなどが並んでいる。
「なんか気になるもんでもあったか?」
 跡部が横からケースを覗き込む。
「ん? ああ、この銀色の……」
 手塚が指差したのは、飾り気のないシルバーのバングルだった。幅の細い板状の金属をそのまま輪にしたようなデザインで、無駄な装飾がない分、シルバーの持つ上品な光沢が際立っている。
「お前が自分で選ぶなんて初めてじゃねえ? いいと思うぜ、手元にワンポイントあるとアクセントになって」
「いや、お前に似合いそうだと思ったんだ」
 手塚がそう言うと、跡部はパチパチと目を瞬かせた。
「すみません、これ見せてもらっても?」
 買った服を袋詰めしている店員の背中に向けて、手塚は声を掛けた。
「はいはーい」
 店員はくるりと振り返ると、ショーケースの鍵を開け、丁寧な手付きでバングルを取り出した。手塚は礼を言ってバングルを受け取ると、黙ったままの跡部の腕を取って、白い手首の、いつもはリストバンドをしている位置にそれを嵌めた。
「うん、やっぱり似合うな」
 跡部の手首に嵌められたシルバーを見て、手塚が満足そうに頷く。
 自分の手元と手塚の顔とをたっぷり数秒ずつ見つめた後、跡部は重々しく口を開いた。
「……これ、二つ追加で」
「はぁ~い、まいどあり~!」

  

 妙にかさばる紙袋の山を手に提げて、来た道を引き返していく。いつの間にか太陽はもう随分傾いていて、日に日に陽が落ちるのが早くなっているのを実感する。まだどこか夏の気配が残る夕焼けが、ビルや通りやそこを歩く人達を眩いくらいの橙色に照らしている。
「俺の分まで買わなくても良かったんだが」
「俺様が買いたいから買ったんだよ」
 跡部は不貞腐れたように昼間のセリフを繰り返した。手塚はしばらく夕焼け色に染まる跡部の横顔を眺めていたが、不意に思い出したように口を開いた。
「跡部、こういうの何と言うか知ってるぞ」
「ああん?」
 自分の左手首のバングルを指で撫ぞりながら、手塚が自信ありげに微笑む。
「ペアルック、だろ」
 跡部は呆けたように手塚を見ていたが、やがて俯くと、特大のため息を吐きだして言った。
「そういうのは服とか靴に使うんだよ。ドヤ顔で間違えてんじゃねーよ。 ……それを言うなら、ペアブレスだろうが」
 夕焼けよりも赤く染まった頬を隠すように、跡部は掌で顔を覆っている。その右手ではブレスレットが夕陽を弾いて、まるで一番星のようにチカチカと輝いていた。

  

  

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