ミスショット
手塚がSNSを始めた。
最近まで電子機器の使い方も覚束なかったはずの男からの一報を受けて、跡部は半信半疑のまま、検索画面に聞いたばかりのIDを打ち込んだ。
「どういう風の吹き回しだ? こういうの苦手だろうが」
「スポンサーからの依頼だそうだ。もっと露出を増やすようにと」
「はっ、そりゃ向こうの仕事だろ。タレントじゃねえんだぞ」
「そうも言ってられないだろう」
そう言いつつ、声には不承不承といった態が滲んでいる。だから、うちで面倒みてやるって言ったのによ。
本当に今さっき作ったばかりのアカウントらしい。告知もまだなのか、フォロワーの数はゼロ。ただし、それも時間の問題だろう。手塚がプロに転向して早数年。最近では注目の若手プレイヤーとして、しばしばメディアにも取り上げられるようになった。そういう報道の後には決まって、やれストイックなところが素敵だの、クールなところがまた格好いいだの、こういう息子や孫が欲しいだのという声が巷に溢れるのだから、潜在的なファンはそれなりの数いるはずだ。
「で、この写真どこだよ」
ポチッとフォローボタンを押しながら尋ねる。どこかのテニスコートだろうが、写真には目印になるようなものどころか、当の本人すら写っていない。投稿コメントは『SNS始めました』の一文のみ。冷やし中華かよ。
「遠征先で借りているコートだ」
「マドリードの? 場所を特定させる必要はねえけど、せっかくなら地名ぐらい書いとけ。あと、自分の写真も載せろよ。これじゃ、本物かどうか分かんねえだろ」
「なるほど。………………こうか?」
その直後に通知音が鳴って、跡部は面食らった。画面を見れば、証明写真のような仏頂面をした手塚の自撮りが二枚目として投稿されている。
「下手くそ」
「なんだと?」
「練習しろよ、自撮り」
ものは良いんだからよ、という言葉は寸でのところで口の中に留めた。
「ところで、何を載せればいいと思う?」
「そうだな……、練習風景とか、他の選手との写真とか。あとは、お前の人となりが分かるようなもん撮ってれば、ファンは喜ぶんじゃねえの」
「なかなか難しいな……」
「難しく考えるもんでもねえだろ。気に入ってるものとか、出先で見つけて気になったものなんかでいいんだよ」
「そうか……、分かった。やはりお前に聞いてみてよかった」
「ん。まあ、せいぜいイメージアップ作戦頑張れよ」
「なんだそれは」
受話器越しに手塚が少し笑ったのを感じながら、下手くそな自撮りに「いいね」を押してやった。
夜中、しかも本物かどうかすら判然としないうちからじわじわ増えていたフォロワーは、翌朝、公式サイトで告知されるや否や、一気に数千に跳ね上がった。更新は多くて週に一度。はじめこそ義務感でやっているのが見え見えだったが、ひと月もするとだいぶこなれてきたらしい。どこどこの山に登ったときに見つけた珍しい花だったり、ランニング中に見えた景色だったり、公園で出くわしたリスだったりと、手塚自身楽しんで撮っているのが分かる。跡部は気を抜くとニヤけてしまう頬を手で押さえながら画面をタップした。
「なんや人気らしいやん。手塚の自撮り」
席について早々、忍足は伊達メガネの奥の目をニヤニヤと細めながら言った。久々に食事にでも行こうと誘ってきた忍足が前から気になりつつも行けなかったというフレンチのレストランは、デートスポットとして人気らしく、確かに男一人で来れる雰囲気の店ではなかった。だからと言って、男二人ならいいかと言えばそんな話でもないだろうが、それでも一人よりはマシということなのだろう。
「あれだけは、いつまで経っても上達しねえんだよな。そもそも表情筋の問題だと思うけどよ。ま、受けてるならいいんじゃねえの」
何カ月経ってもいつも同じような表情の一連の写真は、ファンの間では〝証明写真シリーズ〟として静かなブームになっているらしい。さすが手塚のファンは一筋縄ではいかない、と自分のことは棚に上げて跡部は思った。
「俺もフォローしてん。けど、あれやな。こうして何千キロと離れとっても相手が何しとるか分かるなんて、SNSもええもんやなぁ」
「てめえ、恋バナに飢えてるからって俺様をダシにしてんじゃねえよ」
「バレたか。せやかて、最近忙しゅうて小説読む時間もないんやもん。幸せのお裾分けくらい貰てもええやんか~」
「開き直ってんじゃねえよ、バーカ」
顔を覆ってウソ泣きをする忍足を無視してメニューに目を通すと、跡部はさっさとウェイターを呼んだ。
お互いの近況やら何やらを話しつつ、コース料理も終盤に差し掛かる頃、跡部の携帯が短く震えた。緊急の場合もあるので、念のため一言断りを入れて画面を開く。
「噂をすれば、手塚やん」
忍足の携帯にも通知が届いていたらしい。仕方なく、半分しまいかけていた携帯をもう一度タップする。次の瞬間、跡部はテーブルに突っ伏しそうになった。
いつものように道端で遭遇した小動物でもアップしようとしたのか、『猫だ』という説明にもなっていない一文を添えて投稿されていたのは、紛れもなく跡部の写真だった。カメラに向けて真正面から笑いかける顔は、まるで溶けかけのバターのように気の抜けたもので、常の跡部を知る者が見れば目を疑うことだろう。今まさに跡部自身がその状態だ。
「いつ……、つーか、どこで……。まさか、この前部屋で飲んだ時か? あいつ、いつの間にこんな……」
混乱のあまりすべて声に出して呟いてしまっている跡部と手元の写真とを見比べていた忍足は、背もたれに体を預けて「もうお腹いっぱいやわ」と独り言ちた。
そうこうしている間にも、
『えっ、えっ、どういうことですか!?』
『这个型男是谁!?』
『きゃああああ跡部様~~~~♡♡♡』
『Wenn Tezuka ihn Katze nennt, ist er eine Katze』
『ありがとうございますありがとうございます』
『You mean KITTEN!?』
『ATOBE–SAMAAAAAAAAA』
と、コメント欄が阿鼻叫喚となっている。それと同時に、フォロワーが凄まじい勢いで増えていく。
「確かに、猫みたいやなぁ」
「誰がネコだ、アアン!?」
跡部が大声で食ってかかる。忍足は「シーッ! シーッ!」と慌てて唇の前に指を立てた。話し声がピタリと止んだ店内に、上品なクラシックのBGMだけが流れる。跡部と忍足は周囲に向けてぺこりと一礼してから、居住まいを正した。
「あいつ、次会ったときはただじゃおかねえ」
「あ、消せとか言わへんの」
「今更おせえだろ……。変に言い訳するほうが悪目立ちする」
そう言いながら跡部は素早くメッセージを打つと、今度こそ画面を閉じた。数十秒して再び通知が光る。跡部が確認しようとしないので、忍足は自分の携帯を開いた。
『間違えた』
再び端的なコメントととも上げられたのは、石造りの壁を背景にして、じっとこちらを見つめる猫の写真だった。確かに可愛らしいが、何が出てきても先ほどの写真には負ける。
向かい側に座る跡部は、頬杖をついてそっぽを向いている。
「ウェイターさん、こちらの猫ちゃんにデザート持ってきてー」
「飛び切り甘いヤツな」