Schemer
容赦なく照りつける太陽。
遥か水平線の彼方まで続くエメラルドグリーンの海。
波打ち際では、穏やかな波が白い砂粒を巻き上げては、シャラシャラと涼しげな音を立てている。
そんな美しい浜辺に並ぶパラソルの下、ビーチチェアに背中を預けた手塚は今、どうしようもない苛立ちと格闘していた。
「待たせたな、手塚!」
跡部はそう言って、両手に持っていたドリンクのうちの一つを手塚に手渡した。すこぶる上機嫌らしく、満面の笑顔は頭上の太陽に負けないくらいキラキラと輝いている。
「……随分遅かったな」
すっかり温くなったライチジュースを受け取りながら手塚は言った。自分が思った以上に恨みがましい声が出た。
なにも真冬の北半球から、唐突に常夏の島へ連行されたことに腹を立てているわけではない。(そもそも、そんなことで腹を立てているようでは、とてもじゃないが跡部とは付き合えない)
全ては目の前の男の、いっそ破壊的ともいえるほどのモテっぷりにあった。この目と鼻の先にあるドリンクスタンドへ行って帰ってくるまでに、いったいどれだけ時間がかかったことか!
最初はブロンドヘアの女二人組。その次はアジア系のマッチョ。間を置かず、十は年上だろう東欧系のブルネットの女が寄ってきて――――この辺りから手塚は記憶するのをやめた。
最後に手塚のすぐ目の前で声をかけてきたのは、赤毛のサーファーだ。言葉の訛りからしてスペイン人だろう。情熱的な口説き文句の数々が聞く気がなくても耳に飛び込んでくるものだから、さすがの手塚も腰を浮かしかけたが、当の跡部が目で制してくるのでひたすら口を結んでいた。
常温に近いジュースを機械的に流し込む。跡部は隣のチェアに足を組んで腰掛けると、ストローを口に咥えた。俯いた拍子に垂れ下がってきた生乾きの前髪を耳にかけている。些細な仕草さえいちいち絵になるヤツだ。
前を通りがかった同年代くらいの男が、跡部の気を引こうとピュイと口笛を吹いたので、手塚はありったけの殺気を込めてウインクを返してやった。
「たまには賑やかな海もいいもんだな」
顔を真っ青にして走り去る男の後ろ姿を見送って少しだけ清々とした気分になっていた手塚は、跡部の呑気な感想を聞いて頭痛を覚えた。
普段なら(と言ってしまう慣れも恐ろしいが)プライベートビーチどころか島一つ貸し切って、二人きりで静かに過ごすのが常であったはずが、どういうわけか今回跡部が選んだのは観光客の多い高級リゾート地であった。真夏の湘南の、あの芋の子を洗うような人出とまではいかないが、それなりに混雑している。
「それにしても人が多くないか」
「この辺り、写真映えするスポットが多いんだと。BBCでも特集があったって、さっきイギリスから来たって奴らが話してたぜ」
「そうか……」
手塚は頷きながら思わず手で額を押さえた。
「大丈夫か? 具合が悪いなら、医者を呼ぶぜ?」
熱中症だとでも思ったのか、跡部がおもむろに手を上げて指を鳴らそうとするので、手塚は咄嗟に中指と親指を握りこんで音が出ないようにした。
「大丈夫だ! だから、鳴らすな!」
「なら良いけどよ。つーか、痛え」
「ああ、すまない」
手塚は力いっぱい握っていた跡部の指から慌てて手を離した。なにせW杯前のハワイでの珍事については不二達から面白おかしく伝え聞いていたので、この小さな島に大型旅客船が集結する事態だけは避けたかったのである。
跡部は左手をプラプラと振りながら、不満げに唇を尖らせた。
「なんかお前、イライラしてねえ?」
「そんなことはない」
「そうかよ。…………もうひと泳ぎしてくる」
跡部はふいに立ち上がると羽織っていたラッシュガードを脱いだ。均整の取れた体つきと絹のように艶やかな肌が露になる。周囲の視線が集まるのが分かると、もう駄目だった。手塚は脱ぎ捨てられたばかりの上着を掴むと、無言で跡部の前に立ちふさがった。
「どうした手塚、お前も泳ぐ気になったか?」
首を傾げる跡部に問答無用で上着を着せ、ジッパーを首元まで引き上げると、手塚は跡部の手を掴んで宿泊先のホテルの方向へと歩き出した。
「もう帰るのか?」
「…………」
「おい、なんか言えよ」
手塚は立ち止まると、むすっとした顔をして振り向いた。最後の仕上げとばかりに跡部の頭にフードを被せる。
「腹が減ったからホテルに帰りたい」
手塚はそう言うと、驚く跡部に不意打ちのようなキスをした。子供染みた文句とは裏腹に、目の奥には野生の獣のようなギラギラとした光が覗いている。
「ったく、仕方ねえな」
手塚は跡部が言うか言わないかのうちに再び手を引いて歩き出したので、フードの下の唇が得意げに弧を描いたのには、全くもって気付かなかった。