Siesta
今までで最低のバカンスになりそうだ。
朽ち果てた木造二階建ての『別荘』を見上げながら、跡部は心の中で毒づいた。
もともと人が住むようには作られていない部屋を片付け、雨風が入ってこないよう修繕し、限られた材料で大人数分の食事を用意する。これにさらに、こんな辺鄙な山の中に自分たちが集められた本来の目的であるはずの、テニスの練習が加わるのである。そんな暮らしが三日も続く頃には、何がメインなのか分からなくなってきた。
これまで自分たちがいかに恵まれた環境でテニスをしていた、いや、させてもらっていたか。それをしみじみと実感する――なんて余裕はもはや微塵もなく、日ごと身体の内に溜まっていく澱のような疲労をどうにか気力で振り払っている。
部屋のそこここに転がって寝息を立てている部員たちみたいに泥のように眠れたなら、いくらか良かっただろう。最初の夜、支給された物資の中から寝袋を取り出しながら、「なんか、キャンプみたいでワクワクすんね!」と屈託のない笑顔を浮かべていたジローの豪胆さが、今は素直に羨ましい。
ため息交じりに身じろぐと、ナイロンの寝袋がシャカシャカと耳障りな音を立てた。しんと冷えた床の硬さも、いくら掃除しても埃っぽさの消えない空気も、すべてが心をざわつかせ、少しずつすり減らしていく。どこかそう遠くないところで鳴くフクロウの声を聞きながら、明かり一つない山並みの上に広がる星空を眺めては、ただ夜が過ぎていくのを待った。
その日は朝から踏んだり蹴ったりだった。
ジローに揺すり起こされるという未知の体験で目覚め、食堂に向かう途中、廊下のちょっとした段差に躓いて、忍足の背中に強か鼻をぶつけた。朝食のとき、樺地が言いにくそうに口ごもりつつ指摘してくれるまで、後ろ頭が跳ねているのにも気づかない有り様だ。テニスをしているうちに、少しは頭がはっきりしてきたように思えたが、それも都合の良い思い込みだったらしい。サーブ練習で四回連続でフォルトしたときには、さすがにその場にしゃがみ込みたくなった。
「跡部、少し時間はあるか?」
昼食後、机に突っ伏して寝ているジローの横で、幸村達と今後の改善点について意見を交わしていると、唐突に手塚が割って入ってきた。急用なのか、はたまた、ここでは出来ないような込み入った話なのか、席を立つよう無言で促してくる。跡部は訝しがりながらも、すでに出入口のほうへ歩き始めている手塚の後を追った。
昼でも薄暗い廊下を抜け、立てつけの悪い勝手口を開けて建物の裏手に出ると、目に痛いほどの緑が広がっていた。天然の芝生のように短い草花の生えた地面の上を、手塚は黙って歩いていく。
「なあ、なんかあったのか?」
とうとう我慢出来なくなった跡部が尋ねる頃、ようやく手塚は「ここだ」と言って、一本のブナの木の前で足を止めた。
建物とその背後に広がる雑木林との境目あたりに、その木はあった。大人一人くらいすっぽりと隠れてしまえそうなほどの大木である。どっしりとした太い幹が空に向かってまっすぐに伸び、高い位置で無数の枝に分かれては緑の葉を茂らせている。灰色がかった樹皮のところどころに浮かぶ複雑な斑模様は、まるで最も美しく見えるよう計算して描かれたかのようだ。
一通り観察を終えた跡部が手塚のほうを見ると、手塚はブナの木の根元に腰を下ろして静かに話し始めた。
「昨日見つけたんだ。地面もあまり湿ってないし、時々気持ちいい風が吹く。考え事をするのにちょうどいい、と少し座っていたら……」
「いたら?」
「気づいたら眠っていた」
言いたいことが分かった気がして、跡部は手塚の隣に腰を下ろした。日を透かしたブナの葉は鮮やかな黄緑色に光り、風が吹くたびに囁くような声で笑っている。
「手塚が居眠りねえ……」
「俺だって居眠りくらいする」
「そりゃそうだ。……十五分したら起こしてくれ」
「ああ」
背中を幹に預け、隣の筋張った肩に頭を乗せる。瞼の裏で陽の光が微かに揺れて、土と風と手塚の匂いがする。枕にしては少々出来が悪いが、なんだかよく眠れそうな気がした。