不機嫌なテディ

  

「坊ちゃま、手塚様から小包が届いておりますよ」
 お部屋に置いてございますので、と続けたミカエルに返事をしながら、内心、早足にならないよう歩くことしか頭になかった。まさか、手塚が自主的に何か送ってよこすとは。天気予報では、「今年のクリスマスは季節はずれの暖かさ」とか言っていた気もするが、今夜は大雪になるに違いない。
 机の上に載ったソレを見下ろして、跡部は口から呻き声のようなものを漏らした。一抱えはありそうな真っ赤な箱だった。箱の周りに巻きつけられた白いサテンのリボンがテーブルランプに照らされてツヤツヤと光っている。極めつけは、メッセージカードに印刷された「Merry Christmas!」の文字。紛れもない。正真正銘、クリスマスプレゼントである。
 跡部がここまで疑り深くなっているのはもちろん、これまでの手塚による数々の所業のせいに他ならないのだが、今日ばかりはそれを並べ立てるのはやめておく。跡部は大きく深呼吸すると、まるで爆弾処理班のような手つきで箱にかけられたリボンを外しにかかった。
「なん……だ、これは……」
 思わず独り言が出るほど衝撃的な中身に、跡部は腕どころか全身が震え出しそうになるのを感じた。クマだ。厳密に言えば、クマのぬいぐるみだ。濃いブラウンのふわふわした毛並みのテディベアが、抱っこをせがむように手を伸ばしたポーズで箱の中に収まっている。
 並みの精神力の持ち主であれば、あの手塚からこんなプレゼントが届いた日には、悲鳴を上げて蓋を閉じずにはいられないだろう。しかし、跡部とて手塚と、いわゆるお付き合いを始めて何年か経つ。時々ヤツの見せる恐ろしくメルヘンチックな思考や言動にも、いくらか耐性がつくというものだ。
 何か理由があるはずだ。でなければ、いくら恋人と言えど、手塚が同い年の男相手にこんな可愛らしいものを贈るはずがない。カードの裏にも、恐る恐る取り出したテディベアの下にも、何のメッセージもないことを確認すると、跡部は思考を巡らせながらベッドに座り込んだ。

   

 それにしても、やけに愛想のない顔をしたテディベアだ。ぬいぐるみを目の高さまで持ち上げて矯めつ眇めつ観察していた跡部は、ふとそんなことを思った。一針一針手縫いで作られたテディベアは、同じシリーズでもそれぞれ微妙に顔が異なる。それが魅力の一つだとも言われているが、ここまで無愛想となると少し問題ではないか。小さな鳶色の瞳は、ふんわりとした毛に上半分が覆われているせいか妙に鋭く、黒い鼻の下に縫い付けられた口など、まるでムッとすることが起きた後のように、への字に折れ曲がっている。
「ははっ、まるで手塚じゃねえの」
 口をついて出た言葉に、跡部はハッとして固まった。濃い茶色の毛に、鳶色の瞳。なにより、この可愛げのない表情! 一度そう思うと、もうこの無愛想なぬいぐるみが手塚にしか見えないではないか。
 今すぐ事の真相を確かめたい衝動に駆られながら、電話をしたらしたで、恥ずかしげもなく肯定されるだけのような気がして、跡部は一度は掴んだ携帯電話をすごすごとサイドテーブルの上に戻した。
 シーツに倒れこんで、深々とため息をつく。自分に似ているからという理由だけで、いい年をした男が、同じくいい年をした男にテディベアを贈ったりするだろうか。
「……アイツならするな」
 仰向けになったまま顎を反らすと、携帯を取る代わりに放り投げたテディベアが、横倒しになったまま恨めしそうにこちらを見ている。跡部は小さく舌打ちすると、いささか乱暴な手つきで枕元にぬいぐるみを座らせた。
 風呂から上がってベッドに横になると、先ほど座らせたテディベアがやはりムスッとした顔をしてこちらを見下ろしていた。
「何が不満だ、アーン? 俺様と同じベッドで眠れることを光栄に思うんだな」
 ふっくらしたお腹をつつきながら言っても、当然ながらその表情は変わらない。
「仕方ねえな。今夜は冷えるから、特別だぜ?」
 そう言って鼻の頭に素早くキスを落とすと、跡部はぬいぐるみを腕に抱き込んだ。来年のクリスマスには、青い瞳のテディベアを贈ってやる。やわらかなモヘアに顔を埋めながら、ささやかな仕返しを胸に誓う。
「Night–night」
 良い夢を。出来れば直接言ってやりたいアイツの代わりにそう告げて、跡部は上機嫌に目を閉じた。

  

 顔のすぐ傍で、カシャッと耳障りな音がする。安眠を妨害された跡部は不満を訴えるように低く唸った。
「起きたか?」
「……起きてねえ」
「そうか」
 カシャ。また同じ音だ。聞きなれた音のような気もするが、いったい何の音だったろうか。
「うるせぇ……」
「音の消し方が分からないんだ」
「ったく、何年同じ携帯使ってんだよ……。貸せ」
 そうだ、カメラのシャッター音だ。こいつ、何回教えたら切り方覚えるんだ?
 シーツの隙間から出した掌に、携帯電話が乗せられる。跡部はほんの数ミリだけ瞼を開いて画面を操作すると、ディスプレイの明るさから逃れるようにぎゅっと目を閉じた。
「ありがとう」
 突き返された携帯を取り上げて、男が礼を言う。跡部は返事代わりにヒラヒラと手を振った後、そのまま再び眠りの世界に入ろうとして――、
「なにやってんだ、手塚ァ!」
 起き抜けに叫んだせいか、飛び起きるほど驚いたせいか、心臓が夏祭りの和太鼓のように鳴っている。今の出来事で、俺様の寿命は確実に五日は縮んだ。
 手塚は「起きたか」と、先ほどと同じ言葉を、残念さと嬉しさとを複雑な割合で混ぜ込んだ声色で繰り返した。
 枕元に立つ男は、黒いコートの首元に、今年のクリスマスプレゼントとして跡部が贈ったダークグリーンのマフラーを巻いている。ああ、やはりコイツには、こういうシックで落ち着いた色合いがよく似合う。ホンモノの手塚国光だ。生霊でない限り。
「気に入ったみたいだな」
 明け方の空気に溶けるような静かな声で、手塚が言う。
「なにが……」
 手塚が指差す方向に視線を落とした跡部は、「ヒッ」と短い悲鳴を上げた。いつからそうしたままだったのか、自分の左腕がテディベアを抱き潰す勢いで胸に押し当てている。顔のひしゃげたぬいぐるみと目が合って、跡部は慌てて腕の力を緩めた。
「ち、違う……、誤解だ。俺様は、とっくの昔にテディベアなんか卒業して……」
 気を落ち着けようと、無意識にぬいぐるみの手を握ったり放したりしている跡部を無視して、手塚はもたもたと携帯を操作し始めた。
「おい、聞いてんのか!?」
 寝汗とは別の汗を額に浮かべる跡部の目の前に、手塚はようやく目的のものが表示された画面を向けてみせた。不機嫌なテディベアを抱きしめたまま、穏やかな寝顔を浮かべて眠る数分前の跡部が、手塚が撮影したわりには上手に小さな枠の中に収まっている。被写体が良いからな、と跡部は半ば現実逃避しながら思った。
「ハハッ……。ぜってー消す」
「させるか」
「肖像権の侵害だ、っつってんだろ!」
「個人的に楽しむだけだ!」
「そう言って、この前うっかりSNSに写真上げたのは、どこのどいつだ、アアン!?」
 携帯一つ奪うのに全力で揉み合うものの、クリスマスの朝、ベッドの上でする会話がこれでいいのか、と頭の隅のほうから理性が訴えかけてくる。
「もういい……。マジで誰にも見せんなよ……」
 ベッドに大の字になって寝転ぶと、跡部は上がった息を整えながら言った。
「分かった。それから、跡部」
 同じように隣に転がっていた手塚が、こちらを向く気配がする。
「メリークリスマス」
 そう言って、横になったまま手を広げたポーズが、例のテディベアそっくりで。跡部は可笑しさのあまり泣き出したくなりながら、その腕の中に飛び込んだ。

  

  

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