タジマジの呪文

  

Saturday, 4th October

19:51

 アンティークランプの赤々とした明かりが照らす廊下を足早に歩みながら、手塚は腕時計にちらりと目をやった。なんとか約束の時間には間に合ったようだ。普段はちょっとやそっとの遅刻に目くじらを立てるような人間ではないが、今日ばかりは待ちくたびれて臍を曲げているかも知れない。
 十月のこの時期、学生は兎角忙しい。体育祭に文化祭と何かと祭と名の付く行事が続く上、二人共がつい先日まで生徒会とテニス部の長として二足の草鞋を履いていた身だ。引継ぎや何やで、ここ数週間はまさに休日返上の日々だった。こうして直接逢うのは久し振りだ。
 長い廊下の先、今日の主役が待つ部屋の前に立ち、軽く三度扉をノックする。既に門番から内線が入っていたのだろう。すぐに短い応えがあった。その声を聞くに、どうやら先程までの考えは杞憂に終わったらしい。たった一言からでも機嫌の良さが伝わってくる。扉を開けようと近づいてくる気配を扉越しに感じる。扉が開いたら、跡部よりも先に言いたいことを言ってやろうと思っていた。
「跡部、誕生日おめでとう」
 手塚の姿を目にするや、跡部は何か言おうと開いた口もそのままに、ぴたりと動きを止めた。

 手塚を前にして、跡部が黙っているのは非常に稀だ。
 日頃は手塚を目視して早々、「調子はどうだ!」「髪切ったか?」「この前お前に借りた本だが――」と手塚からすれば、よくもまあそれだけ流暢に言葉が出てくるものだと感心するほどの饒舌ぶりを披露する。その唇が、いまだ一言も発することなくうっすら開かれたままになっている。口と同様にくるくるとよく動く雄弁な瞳が、ただただまあるく見開かれているのも珍しい。滅多にない現象に立ち会い、手塚は普段落ち着いて見ることのできない碧眼をじっくり観察することにした。
 その間たっぷり十秒。
 シャンデリアの光を受けてきらきら輝いている。綺麗なものだな。

 しかし、さらに数秒経っても一向に動き出す気配のない跡部を見て、ようやく手塚はこれは何か様子がおかしいと思い至った。
 跡部の目線を追い、自分の手元に目を落とす。おそらくこの沈黙の原因であろう、小さな青い花束に。

 もう何日も前から、手塚は考えあぐねていた。
 跡部は望めば何でも手に入れられる男だ。去年の誕生日には、両親に新しいテニスコートを作ってもらったという話を聞いた時には、咄嗟に「金銭感覚のズレ」「価値観の相違」というワードが脳裏を過ぎった。
 跡部自身、人に何かするのが好きな性分らしく、手塚もこれまでなんやかんやとその恩恵に与かってきた。ここに来て、貰うばかりで与えることをしてこなかったのにようやく気付く。そして、そういったものを考えるのがひどく不得手なことにも。跡部の誕生日は間近に迫っていた。

「国光、難しい顔しているわね。母さんでは力になれない?」
 手塚の母がやんわりと声をかけてきたのは、そんなある日の夕食後、洗い物を手伝っている時だった。ちなみに、この時の手塚の顔はと言えば、他の手塚家の面々から見ても通常営業の仏頂面にしか見えないものだった。母の愛とは偉大なものだ。
 ここで普段の手塚なら、「いえ、自分で解決してみせます」の一言とともに、堅く口を閉ざしていたに違いない。しかし、遠く雲を掴むような心持ちも相俟ってつい、この甘い悩みがほろりと口を衝いて出てしまった。身も蓋もなく言えば、それだけ初めての恋人の初めての誕生日に浮き足立っていたのだ。
「大事な人への贈り物ねぇ……。やっぱり花かしら?」
「花、ですか」
 ごく一般的でありながら遠回りに考えすぎて辿り着かなかった提案に、手塚は目を瞬かせた。
「無難だけれど、もらって嫌な気持ちになる人はいないはずよ」
「いえ……、ただ俺は花に詳しくないものですから。一体何を贈ったものかと」
「あら、それなら簡単! 花屋さんに行って色んな花を見てご覧なさい。そこで大切な人を思い浮かべて、どんな色の、どんな花が似合うか想像してみるの。きっとこれだってものが見つかるわ」
 そう言って、母はどこか嬉しそうに笑った。
 それからというもの、外出の際には花屋の前で立ち止まるのが習慣になってしまった。

 世の中には随分色々な花があるものだ。
 薔薇の花を眺めながら、手塚はぼんやりと思った。薔薇だけでもこれだけ種類があるとは。そう言えば、あいつはいつもこれによく似た香りをさせている。確かに跡部らしい花だ。見た目も、それから値段も。手塚は思考の波に沈むあまり、親の敵を見るような目を花々に向けていた。
 そんな手塚を最初は怖々見守っていた店員達だが、真剣さは伝わったらしい。今ではすっかり顔なじみになり向こうから積極的に声をかけてくる。お陰で花にはいくらか詳しくなった。先刻ついに注文を出した時には、「気持ちが伝わるよう張り切ってお作りしますね!」と力強く拳を握って応えてくれたものだ。

 見ているうちにあれもこれもと増えていった花は、品種こそバラバラだが淡いブルーを基調に品よく纏まっている。優美な青と白の薔薇を中央に、周りを囲むようにグラデーションも美しいデルフィニウム、白く艶やかなフリージア、無数の小さな青紫の花をつけたセージ、アクセントに緑のシダーの葉が覗く。
 大きな花束を抱えていくのも気恥ずかしく、また金銭的にも難しかったので出来るだけ小さく作ってもらった花束は拳二つ分ほどの大きさだ。店員は鼻息荒く会心の出来だと言っていたが、派手好きの跡部には少々地味だったかも知れない。
 気に入らなかっただろうか。

「気に入らねぇわけがねぇだろ! ただ、あまりに予想外でよ。まさか手塚から花、なんてな」
 どうも顔に出ていたらしい。ようやく石化の解けた跡部は慌てたように言い募った。
「ったく、急にらしくねえことするんじゃねえよ。危うく脳外科医を呼ぶところだったぜ」
「なぜ俺が頭を打ったという前提で話を進める」
「うちのドクターは皆、腕は確かだぜ?」
 盛大に論点をずらした問答をしながら、跡部は手塚の腕の中からさっと花束を取り上げた。
「なぁ、俺様に似合うと思って選んだんだろ? どうだ、見立てのほどは?」
 花に顔を寄せて、跡部は目を細めて微笑んで見せた。
 手塚は唇の端をほんの僅かに上げた。そして満足そうに呟かれた一言は、再び跡部を固まらせた。
「ああ、よく似合っている。これからは毎年花を贈るというのもいいな」

「……は? てめぇそりゃ、」
 白磁の肌が音を立てる勢いで赤く染まるのを、手塚は首を傾げて見ていた。
 一方、跡部は手にした花束を見下ろして素早く考えを巡らせた。

 ――こんな出来すぎた偶然あるか? しかし、こいつの様子じゃ何か意図があるとは思えねぇ。この天然野郎が、人のこと弄びやがって……!

 一つの結論に行きついた跡部は、天使よりは限りなく悪魔のそれに近い笑みを浮かべながら顔を上げた。そのまま花束から白い薔薇を一輪抜き取ると、成り行きを見守る手塚の胸ポケットに差し込む。
「最高のプレゼントだ、ありがとよ。そして、これが俺からの礼で、答えだ」
「跡部? それはどういう……?」
 疑問符を浮かべた手塚の言葉に、跡部はただ意味ありげな微笑を返すだけだった。

 「ご自宅までお送りしましょう」という執事の言葉を有難くも辞退し、秋の夜道をゆっくり歩きながら、手塚は自分の胸元を見下ろして小さく息を吐いた。
 帰り際、貸してやると跡部が無造作に投げて寄越したのは見慣れない形をした小さな銀細工だった。親指ほどのサイズの細長い円錐形のそれは一種の装飾品らしく、一面に繊細な彫り込みがなされている。花が潰れるからそれに入れていけ、と言う。
 見るからに高そうなものだったので傷を付けでもしたらと思い、断ろうとしたものの、無理やり持たされてしまった。
 陽が出ているうちはまだ熱いほどだが、夜ともなると冷たい風が身を震わせる。
 結局、最後まで跡部はあのやりとりの真意を口にしなかった。戻ってきた一輪は、どんな意味を持つというのだろうか。
 思案に暮れる手塚の胸元、こっくりとした闇の中にあって、白い薔薇と銀細工だけが淡く光を弾いていた。

  

Sunday, 5th October

6:02

 抜けるように高い青空が広がっている。絶好の運動会日和だ。
 窓を開けば、朝の清涼な風が、花の香りに溢れた部屋の空気をかき混ぜていった。
 手塚が帰ってすぐに花は寝室に活けさせた。装飾の控え目な白磁のフラワーベースに、淡いブルーがよく映える。
 室内には家族や友人をはじめ様々な人から贈られたプレゼントが山と詰まれている。その中でも、昨夜届いた最後のそれは特別だった。
 正直、手塚から貰うものなら何でも嬉しいはずだった。だが、あまりにも意味深な花束を見て、つい別の意味を疑ってしまった。実際には、当の贈り主に全く他意はなかったのだが。おかげで、悔し紛れに謎かけのようなことをしてしまった。
 しかし、これからも毎年だなんて。あれではまるで……。
「俺だけが勘違いして舞い上がっちまったみたいじゃねーか? なぁ?」
 フリージアの花びらを指でつつくと、夜露がころりと転がり落ちた。
 ヒントなら出したつもりだが、あの唐変木は気付くだろうか。

 ――ばーか。せいぜい悩みやがれ。

 軽く頭を振って瞼を閉じると、跡部は意識的に思考を切り替えた。
 今日の中等部最後の運動会、当然のように総大将を任されている。
 今年の組は赤。挑むからには全力で。さあ、新しい一年の始まりにふさわしい勝利を。
 開かれた瞳が、獰猛な光を放つ。
「勝つのは、ルージュだ」

11:20

「くー! 跡部まじまじすっげー!」
 芥川は拳を握りしめて歓声を上げた。グラウンドの中央では、午前ラストの花形種目、騎馬戦の真っ最中だ。
「なんや今日の跡部、いつにも増して気合入ってへん?」
「そっかぁ?」
 宍戸は帽子がなくて落ち着かないのか、ハチマキをいじりながら気のない返事をした。
「まー、中等部最後だもんなー。当然入るっしょ?」
 向日が競技から一旦目を離して言う。忍足は「いや」と目を眇めた。
「それだけやあらへん。あれはおそらく、無意識下でのJ・U・H……」
「ん? なんだそりゃ」
「そんな技あったか?」
「若干・憂さ晴らし・入っとる」
「「んなもん、分かるかっ!!」」
 宍戸と向日のツッコミが綺麗に重なった。
「うおー! また一つ、ハチマキ取ったぁー!!」

20:06

 跡部から電話がかかってきたのは、ちょうど夕食を終えて自室に戻った頃だった。
 跡部が改めて昨日の礼を言い、そのまま雑談を交わす。あの意味深な台詞は謎のままだが、今聞いたところでそう易々と返事はあるまい。
「ところで、今日は運動会だったのだろう。どうだったんだ?」
『俺様が率いるチームだぜ? 負ける訳ねぇだろ。もちろん優勝だ。お前にも見せてやりたかったぜ、俺様の勇姿を!』
 電話越しに上機嫌な声が響く。
「そうか……、それは見物だったろうな」
『なぁに安心しろ。今回、入場から閉会式までプロに撮影を依頼してある。現在、鋭意編集作業中。今月末には全生徒に配布予定だ。生でとはいかなかったが、お前にはうちのスクリーンでとくと見せてやる』
「……ああ」
 これは、パン食い競争ですらハリウッド映画になってしまうのではないか。

『なぁ手塚。明後日の誕生日、何かリクエストはねぇのか?』
 会話がひと段落したわずかな沈黙の後、ふと跡部がそんな質問をしてきたものだから、手塚は思わず口を閉じた。こんな風に人の意向を聞くなど、彼にすればあまりにらしくない質問だった。
『別にねえならそれで構わない。ただ、もしも希望があるなら……、そうだな、明日の二十一時までは受け付けてやる。電話してこい』
 跡部は矢継ぎ早に言葉を紡いだ。なかば一方的に切られそうな雰囲気に、咄嗟に電話の向こうに疑問を投げかけた。
「跡部! それは、昨日のお前の言葉と何か関係があるのか?」

『……さあ? 花にでも聞いてみるんだな』

 薄らと笑みを含んだ声を最後に通話は切られた。
 手元の携帯をじっと見つめる。
 跡部のことだ。プレゼントなど当の昔に用意してあったはず。それをわざわざ締め切りまで設けて自分に尋ねるなど、どうにも試されている気がしてならない。差し詰めこれは奴からの挑戦状といったところか。
「この勝負、受けて立とう」
 昨夜の跡部の『答え』が、この問いかけの答えに繋がるはずだ。
 机の上の一輪挿しに目を向ける。
「……お前は知っているのか?」
 窓から吹き込んだ夜風が、白い花びらをわずかに揺らした。

  

Monday, 6th October

20:15

 花は口を利かない。しかし言葉なら持っている。
 手塚は図書館で借りてきた花言葉の辞典を開きながら思考を巡らせた。白い薔薇の花言葉の欄に目を通す。おそらく跡部の答えはこういうことだと思うのだが、どうにも腑に落ちない。何か大事なことを見落としているような。
 パラパラとページを捲り、文字の山の中、ふと跡部に贈った花の名前を見つけて目を留めた。
 青い薔薇は「神の祝福」か。少し面白くなって、他の花も探してみる。デルフィニウムは「清明」。フリージアは「憧れ」。シダーは「逞しさ」。セージは「家庭的」。
 そこにノックの音が響いた。母がお茶を淹れてきてくれたらしい。慌てて教科書の下に本を隠す。
「あら? そのお花どうしたの?」
 しかし、机の上の一輪挿しは誤魔化しようがなかった。嘘をついても仕方がない、と手塚は詳細は伏せつつも正直に話すことにした。渡した花束から一輪だけ返された花だと。
 短い説明を終え、口を噤む。手塚の母は、花の隣に置いてあった例の銀細工を掌に乗せてしばらく眺めていたが、ふと笑って言った。
「珍しいわね。これ、『ポージーホルダー』でしょう?」
 その薔薇は入れ物ごと頂いたの? と意図的に説明を省いたくだりを見事に言い当ててみせた母に、手塚は驚愕の目を向けた。
「ポージーホルダー?」
「あら、これの名前よ。知らなかった?」
 初めて聞く単語に、ただ小さく肯く。
「そう言えば、ポージーホルダーには別の呼び方があってね。面白いのよ、そっちの名前だとね、お花に関する別の物まで表せちゃうの」
 母の言葉を聞きながら、手塚は頭の中の霧が晴れていくのを感じた。
 そうか、跡部が電話で言っていた『花に聞け』とは。
「母さん。その話、詳しく教えてもらえませんか?」

20:48

「よう、手塚。ギリギリじゃねえの。ご注文はお決まりで? ――――おう。――――はっ、上等じゃねーの! ――ああ、明日十九時に。首洗って待ってろ」

   

Tuesday, 7th October

19:00

 約束の時間ちょうど。家から程近い公園にやってきた跡部の姿を見て、手塚は会う場所として自宅を指定しなくて良かったと心の底から思った。
 タイこそ着けていないものの、白いドレスシャツの上に黒いジャケットを羽織り、同色の細見のパンツを合わせている。とどめは右手に持った赤い薔薇の花束だ。それが冗談でなく様になっている。道行く人が見れば映画の撮影か何かだと勘違いするだろう。こんな格好で家に来られたら、危うくご近所中の噂になるところだ。
「Happy Birthday、手塚。お望みのもの、持ってきてやったぜ?」
「ああ。……まさか歩いてきたのか?」
「車なら一旦返したぜ? この辺り、停める所も無いしな」
 何をそんなに気にしているのかさっぱり分からないといった顔で跡部は答えた。
「それにしても、その恰好はどうした」
「あーん? ドレスコードの指定は無かっただろ」
 手塚の正面で歩みを止めた跡部は、挑戦的に瞳を煌かせた。
「さぁ、答え合わせといこうぜ」

「……tussy mussy」

 手塚の言葉に、跡部は少し意外そうに眉を上げた。
 手塚は胸ポケットから銀細工を取り出し、目の高さに持ち上げて言葉を続ける。
「お前が寄越したこれ、ポージーホルダーという物だろう? またの名を『タジマジ』。花を挿して装飾品として身につけたり、手に持って持ち運ぶ為の容器だ」
 跡部は相槌を打つでもなく、黙って話を聞いている。
「『タジマジ』には二つの意味がある。一つは、今言った容器としての意味。そしてもう一つは、それに入れる花束自体。跡部、三日前に俺がお前に渡した花束が、まさにそれだったんだろう?」
 手塚はそこで一旦言葉を切ると、跡部の様子を窺った。跡部は続きを促すように器用に片目だけ瞑ってみせた。
「十九世紀の英国を中心に流行した、花言葉による手紙だ。恋人同士が、言葉の代わりに花や香草で作った花束を使い、花言葉で想いを伝え合ったという。互いに作ったタジマジ同士を交換するほか、返事として受け取った花の中から一輪だけ選んで贈る場合もある」
 手塚は模範解答を述べるかのように淀みなく言い切った。
「Brilliant! この短期間で、よくお勉強したじゃねえの」
 跡部は花束さえ持っていなければ手を叩いて喜びそうな声を上げた後、悪戯が成功したような顔で付け加えた。
「それとも、『菜の花』に教えてもらったのか?」
「やはり『花に聞け』とは、そういう意味も込めての言葉だったのか……」
「俺様からの二つ目のスペシャルヒントだ。役に立っただろ?」
「人の母親を花呼ばわりするのはお前くらいだと思うぞ。……待て、名前を覚えているのはまだ分かるが、何故うちの母がそんなに花に詳しいと知っている?」
 手塚は今まで謎解きに夢中になっていたせいで、すっかり見落としていた事実にようやく気付いた。
「あーん? そりゃお前、家にお邪魔した時に雑談くらいするだろ? この前お会いした時は、フラワーアレンジメントに凝ってると仰っていたし」
 さも当然、といった風に跡部は答えた。
「それに彩菜さんの話を聞くに、最近じゃ日本の結婚式でもタジマジに倣ったような演出が流行ってるそうじゃねーか。まあ、俺もそこまで詳しくご存知だとは思ってなかったから驚いたが」
 跡部、俺はお前のコミュニケーション能力を侮っていたようだ。二人とも、いつの間にそんなに仲良くなったんだ。
「しかし、誤解させるような花束を作った花屋も悪いぜ。なにせ、中央にローズを置いて、その周りに花やハーブを環状に配するのは、タジマジの伝統的なフォーマットだ。誕生日にそんなもん渡されたら、なにか特別な意味があると勘繰っちまうのも仕方ねえだろ」
 跡部はそう言ってムッと唇を曲げた。なるほど、形までそっくりだったなら、あの日花束を目にした瞬間の跡部の驚きぶりも分かろうというものだ。
 と同時に、手塚は問題の花束を作った花屋について思い返していた。花束を作ってくれた時の、あの妙な熱の入れようは、今思うと用途を勘違いされていたのだろう。つまり、プロポーズか何かに渡すのだと。そういえば、プレゼント用とは言ったものの誕生日のとは口にしていなかった気がする。しかし、学生服で立ち寄らないようにしていたのが災いしたのか知らないが、いったい人のことを何歳だと思っていたんだ?

「……悪かったな。俺の早とちりで勘違いしたのかと思ったら腹が立って、つい八つ当たりみたいなことしちまった」
 手塚の沈黙をどう受け取ったのか、殊勝にも跡部がそう謝ってきたので、咄嗟に手塚は口を開いた。
「別に、勘違いで構わない」
 さすがに言葉が足りなかったらしい。跡部が訝しげに眉を寄せている。
「確かに今回は偶然が重なって出来たメッセージだったが、同じようなことはいつも思っている。だから、別段お前の勘違いということでもない」
 跡部の青い瞳が次第に大きくなり、きらきらと輝きだす。
「その分だと、花言葉のおさらいは不要だな」
「日本ではなく英国式の花言葉なのだろう? それも、ポージーホルダーが使われていた時代、今から二世紀前のヴィクトリア朝の頃の。青い薔薇は『不可能への挑戦』。セージは『深い尊敬』。フリージアは『信頼』。デルフィニウムは『忠実な愛』。シダーは『私を思って』。そして白い薔薇は『私はあなたに相応しい』。それらを繋げて出来る文章は、」
「Stop」
 昨夜やっと辿り着いた解釈を述べる前に、跡部が声を上げた。
「想いを花に、だろ? それをまた言葉にするなんて無粋じゃねーか」
 言われてみればそれもそうだ。なにより、自分の言葉でないからと随分恥ずかしいことを言おうとしていた。言いかけたセリフを頭の中で反芻していると、頬がひとりでに熱を持つ。
「ま、その調子ならこいつの意味も分かるな。不正解に備えて、花言葉も万国共通、最もポピュラーなものにしてやったぜ」
 ずいっと差し出された赤い薔薇の花束を受け取る。それをよくよく見て、手塚は不思議そうに顔を上げた。
「跡部、年の数にしては花が一つ多いぞ」
「それで合ってんだよ。なにせ、一本は俺の胸に返ってくるからな」
 胸を張る跡部に手塚は大きく息を吐いた。全く抜かりのないヤツだ。
「俺が最後まで気付かなかったらどうしたんだ?」
「お前が花を寄越せと電話してきた時点で、正解に辿り着いたとみていいだろ。それに、お前なら最後にはきっと、自分なりの答えを見つけ出す。それが正解だろうがそうでなかろうが、俺は構わず受け止めようと思う」
 そう言って跡部が予想外に真剣な目を向けるものだから、つい日頃から胸にあった疑問が口をついた。
「いつも思うのだが、お前のその自信はどこから来るんだ?」
「そりゃあ勿論、ここからだ」
 跡部は自分の胸に手を当てて言うと、「今回はこっちからも」と、ついでとばかりに軽く手塚の胸を叩いてみせた。茶化すような仕草に思わず苦笑する。この混じりけのない信頼を、いつまでも守りたいと思う。
「で? そろそろお前の返事を聞かせろよ」
 手塚は一つ頷くと、受け取った花束から一輪取って銀のタジマジに差し込んだ。それを跡部の胸元のボタンホールに着けてやる。
「これは返すぞ。それから跡部、お前にリベンジマッチを申し込む。来年は花言葉までしっかり調べてから贈ることにする」
 満足げに赤い薔薇を見下ろしていた跡部が、好戦的に顔を上げた。
「いいぜ。来年だろうが再来年だろうが。何度だって相手になってやる」
 そうして、近づいた顔をそのまま寄せて。どちらからともなく、軽く唇をあわせるだけのキスをした。

19:45

「ただいま帰りました」
 玄関を開けると、スリッパの音がして母が出迎えにやって来た。
「おかえりなさい、国光。遅かったわね」
「すみません。友人に祝ってもらっていたもので」
 手塚はここぞとばかりに表情筋の硬さを遺憾なく発揮して答えた。
「立派な花束ねぇ! 大きめの花瓶、探さなくちゃ」
 母に続いてダイニングに入る。夕食の準備は既に終わっていた。
「国晴さん、今日は残業で遅くなるんですって。お義父さんも町内の飲み会だって言うし。ごめんね、国光」
「いえ、お祝いなら朝いただきました。それに、家族に祝ってもらう年でもありませんから」
「まあ! まだまだ祝ってもらう年ですよ」
 もう、気持ちまで老け込んでどうするの。
 さりげなく気にかかることを言いながら、母が手際よく料理を温めなおしていく。献立はどうやら自分の好物ばかりのようだ。
「先に食べてしまいましょ。せっかくうなぎも焼いたんだし」
 ことんと茶碗が目の前に置かれる。手塚は途端に空腹を感じた。
 思えばここ三日程は考え込むあまり、食事中も上の空だった。すっきり解決した今、やっと落ち着いて食事が出来るというものだ。今日はじっくり味わっていただくとしよう。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
 うな茶を一口啜る。冷えた体に温かい出汁が染みる。
 ほっこりしている手塚をよそに、薔薇の枝の根元を切り落としながら母が言った。
「こんなことなら、跡部君にも家に寄ってもらえば良かったわねぇ」

 手塚は思わずご飯を吹き出しそうになった。
「なっ……で、跡部……?」
 最悪の事態だけは阻止した手塚が、咳き込みながら尋ねる。
「え? せっかくだから一緒にご飯食べていってもらったら良かった、と思って」
「いや、そうではなく! どうして跡部の名が出てきたんです!?」
「だってこれ、跡部君からでしょう? 近くまで持ってきてくれたんじゃないの?」
 ちょきちょきとハサミを動かす手は止めず、事も無げに母が答えた。
 唖然とする手塚を尻目に、母は切った花を花瓶に移し終わると、ダイニングテーブルの中央にトンと置いた。軽くバランスを整えて、そのまま手塚の真向かいの椅子に腰を下ろす。
「さてと。そろそろ発案者の母さんにくらい、どんな花を贈ったか話してくれてもいいんじゃない?」
 ふふふ、母さんの目は誤魔化せないわよ。そんな幻聴まで聞こえた気がする。
 これからの尋問を思って、今晩の夕食もまともに味わえそうにない、と手塚は腹をくくった。そして最後に惜しむように、口の中のうな茶を飲み込んだ。

  

From T to A

“I send this with great respect, trust and devoted attachment to you who attempt to attain the impossible. Only think of me. I’m worthy of you.”
“You’re exactly worthy of me. And I’m worthy of you, right?”

From A to T

“I love you. Isn’t that enough?”
“That’s true. I love you, too.”

  

  

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